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物事がうまくいかないとき(その1)

物事がうまくいかない
自分ではどうしようもない場合は別として、自分に原因がある場合、どうしたら物事がうまくいくのか?

多くの場合、知らぬ間に欲が大きくなりすぎて自分を見失ってしまう。
そんなときに、物事はうまくいかなくなる。
ではどう心がければいいか?

「欲を半分にすること」

欲は風船のようなものであり、膨れすぎると破裂してしまう(自分が破綻する)
ほどよく、軽く風船を膨らませるのが、よき人生を送る秘訣だと思います。

楽しみを残しておこうぐらいに考えて、徹底的に欲を満たしたりしないように心がけることが大切だと私は思います。

100円で人生の流れを変える方法

私が提案する方法です。


(世界観を変える方法)

1 百円均一などで、小さいノート(または手帳)を買います。
  手のひらサイズの大きさで、ページ数が多いものがおすすめです。
  罫線はあったほうが書きやすいでしょう。
2 カバンに入れて常に持ち歩きましょう。
3 気に入った言葉を目にしたり聞いたらノートに書き写します。
  また、自分が思ったり感じたことを書いてもOK。
  (できるだけすぐに書き写しましょう)
  ボールペンかインクペンで手短に丁寧に書きましょう。
  書いたものを消さないようにするため、鉛筆は避けたほうがいいです。
  消したいときは、二本線で消しましょう。
4 かばんに入れて持ち歩き、暇なときにパラパラとめくりましょう。
5 コツは無理に書こうとせず、『書きたいときに書く』ことです。
  毎日書く必要は、全くありません。


これで、必ず、自分なりの世界観が生まれます。
自分なりの世界観さえできてしまえば、穏やかな生き方が見えてきます。
そして、知らない間に、人生の流れがいい方向に変ります。

自分の性格で苦しんでいる人へ

あなたは、どんな車に乗っていますか?


人は車を運転するドライバーに似ている
みんな乗っている車のタイプが違います

感情的になりやすい人は、すぐにクラクションが鳴ってしまう車に乗っている人

まじめな人は、ハンドルにあそびがなく絶えず緊張をしいられる車に乗っている人

いけいけドンドンの人は、アクセルが敏感でつっぱしる車に乗っている人

自分の内面を出せない人は、窓ガラスが真っ黒で中が見えない車に乗っている人

周りが見えなくなる人は、フロントガラスしか見えない車に乗っている人

自分がさっぱりわからない人は、自分が乗っている車の種類がわかっていない人

小学生のときは、自分が車に乗っているなんて意識はない。
中学生になって、自分が車に乗っていることに気が付き、戸惑う。
自分がどんな車に乗っているかわからなくて不安だ。それが思春期に自我が芽生えていく過程なのかもしれない。
大人だって、自分がどんな車に乗っているかを、正確に知らない。

人は、自分の性格に悩まされながら生きている。
もし、自分の性格(乗っている車のタイプ)がわかれば、車の運転も楽になるのではないでしょうか。だから自分を知ることが大切だと思います。
そして、自分の性格を変えようとは思わないでください。
自分の性格をただ、見つめてみましょう。
見つめていれば、自然といい方向に変っていきます。

まとめ
1 自分の性格を見つめる
2 自分の性格を無理に変えない

生きるということは、自分の性格と折り合いをつけながら性格とつきあっていくことだと私は思います。

何もかも手に入れたら幸せになれなるの?


学生のとき、私はある病院の当直事務のバイトをしていた。

当直の医師のなかに、大学病院で勤務し、家庭を築き、高級スポーツカーを何台も所有している先生がいた。

先生はなぜか私を気に入ってくれて、よく夜中に「○○君、いっしょに夜食でも食べないか」と私を誘ってくれた。

ある日、先生は私にポツリとこうつぶやいた。

「なぁ、○○君、俺の人生って、いったいなんだったんだろうか」

何もかも手に入れても、幸せになれないってことを知った瞬間だった。

人づきあいが苦手な人へ(その2)


朗らかに生きたいなら、朗らかな人と付き合おう

穏やかに生きたいなら、穏やかな人と付き合おう

かっ発に生きたいなら、かっ発な人と付き合おう

物静かに生きたいなら、物静かな人と付き合おう

前向きに生きたいなら、前向きな人と付き合おう

人は感化されます。
自分に合った人と付き合えば、無用なストレスもありません。

いや、すでに無意識に選んでいるかもしれません。
だから、あなたが好んで接している人の性格をみてください。

もしかしたら、その人が、あなたの「望む姿」なのかもしれません。

悩みはきっと軽くなる


先日の夕方、とても涼しく感じました。
ふと街角の気温をみると29℃
そう、今年は猛暑で、ずっと35度前後の日々が続いていたので、29℃でも涼しく感じたのでした。

悩みごとも同様ではないでしょうか。

悩んでいるときは、毎日毎日、すごく苦しい。本当につらいよね。
(まるで猛暑のように)

しかし、時がたてば、以前お話したように「悩みの賞味期限が切れる」のです。
(夏が終わるように)

だから悩みは少し軽くなります。
(少し温度が下がります)

それだけでも十分に心が軽くなるものです。
(29℃でも涼しいと感じるように)

それは、悩みぬいている自分に耐性のようなものができるからだと私は考えます。
だから、いますごく悩んでいるのは、いつか心が軽くなるための準備。
今悩んでいることは決して無駄ではありません。

そしていつか、夏が終わるように、悩みの賞味期限が切れ、心が軽くなる日がきます。

だから、その日のために、とにかく生き続けてほしい。

生きている意味(その3)


2×××年、人の老化を防止する薬が開発された。
ついに、人類は永遠の命を手に入れた。
死の恐怖のない、永遠の楽園が待っているかに思えた。

しかし、現実は違った。
永遠に命が続くなら、この瞬間、今が大切だなんてみな思わなくなった。
生きている実感がなくなってしまい、生きる意味が見えなくなり無気力になった。
やがて人口爆発により食料が枯渇し、地上は食料の醜い争いという地獄になった。

死があるからこそ、生きている意味がある。

人生に絶望している人へ


想像してみましょう。
もし、この世のすべての人が聖人君子であったら?
気味がわるいと思いませんか?

人間というものは、どこかゆがんでいるものです。
どこがゆがんでいるかは、人それぞれ違う。
異なる個性の集まりが世の中であり、自然の姿だと思います。

もし、あなたが
じぶんに絶望しているのならば、
この世に絶望しているのならば、

じぶんに完全を求めていませんか?
この世に完全を求めていませんか?

でもね
人間は、ゆがんでいるのが自然なのです。
この世はゆがんでいるのが自然なのです。

いや、むしろ
人間は、ゆがんでいなければならないのです。
この世はゆがんでいなければならないのです。

だから
じぶんに絶望なんかしなくていいのです。
この世に絶望なんかしなくていいのです。

時には悩みから逃げてもいい


荷物を減らしてみる。
荷物をコインロッカーに入れて、さあ、街に出かけよう。
君は自由だ。
だが、一とおり街を歩き、自由が案外不自由だと知ったとき、また荷物を取りに戻ろう。
わかるかい?
荷物のなかに君に必要なものがある。なかには重い荷物もあるけど手ぶらよりましさ。
だから人は悩みを抱えたまま生きていけるんだ。
それが生きるということなんだ。
そして、荷物の重さを忘れたとき、君は幸せをつかむだろう。

自分は不幸だと思う人へ


石器時代に生まれた人が液晶テレビを欲しがるだろうか
1000年生きたいが生きられないと悩む人がいるだろうか
100mを5秒で走れないと悩む人がいるだろうか

手に入れることができないもの(誰も持っていないもの)を人は望まないよね。

つまり人は、「誰かが自分にないものを持っている」と他人と比較したときに、自分は不幸だと思うのです。

しかし「あなたは、すでに持っているものがある」のです。

命、健康、住む部屋、目、手と足、家族、仕事、友達、好きな人、趣味(好きなこと)
命を奪われる危険がないこと
ご飯を食べることができること
何かをする自由があること

どうか、「ないもの」があることを悔やむのではなく、「あるもの」を意識して大切にしてください。
何もかも手に入れることが幸せではありません。
今あるものを大切にできる人が幸せなのです。

嫌いな人を、嫌いにならない考え方


「あの人は、どうしてあーいう人なんだろう」
「あの人の、あの部分はどうしても好かない」

そう思ったことはありませんか?

そのためにどう考えたらよいのでしょうか?

私には3人の子供がおりますが、3人とも性格が違います。
親が同じ兄弟ですらこれほど違うのですから、ましてや他人どうしでは大きく異なります。
それはなぜでしょうか?

それは、
「生き物としての理由があるから」
なのです。

つまり、

1 この世の人が同じような体質なら、例えば疫病の発生などで全滅してしまうから

2 この世の人が同じような性格なら、同じ考えしか持たず文化や文明が発展しなかった

ということなのです。

わたしたち、人は、いまここに生きていますよね。

わたしたちは、みんな一人ひとりが、同じタイプではなく違った人間だから、今日まで脈々と生き続けることができたのです。

だから
『人はみんな違っていなければいけない』のです。
それは、人間の宿命とも言えます。

嫌いな人というのは、たいていの場合、自分と違うひとですよね。
違うのはあたりまえなんだと、発想を変えてみましょう。
そういった考え方を心の奥にもっておけば、嫌いという気持ちも小さくなっていくと思います。

生きている意味(その2)

「あなたの存在は奇跡である」
そのように言われたら驚きますか?

なぜ、あなたが今存在しているか?

人類の起源は何百万年前と言われています。
仮に200万年としましょう。1世代20年の世代交代としたら10万回という世代交代の間、あなたの血は脈々と受け継がれてきました。
あなたの祖先は10万人います。そして、ただの一度も絶えることなく生き抜いてきたのです。

東京ドーム2つ分の10万人でバトンリレーをして、一度もバトンを落とさなかったのと同じです。
とてつもない奇跡だとおわかりいただけるでしょうか。

まさに「砂漠の中でダイヤモンドを見つけた奇跡」とも言えます。

つまり、あなたの存在自体、奇跡といって過言ではありません。
あなたの影には、生きのびれず絶えていった無数の命があります。
だから命を大切にして、この奇跡をかみ締めてください。
それを感じていきましょう。

「この世がいかに甘美ですばらしいか。」
が次第に見えてくるはずです。

そして。。。

人には、困難を乗り越える力があります。

あなたの祖先は、急激な気候変動に耐えしのいだ。
あなたの祖先は、食料不足に耐えしのいだ。
あなたの祖先は、危機を知恵でしのいだ。

あなたには、傷を癒す能力、困難を乗り越える力が秘められています。
私がこのHPで「大丈夫!」というのは、そういった根拠があることなのです。
決して気休めではなく、真実なのです。

人生は音楽のごとし


音楽には休符というものがあります。
休符があるからこそ、音楽というものは生きてくる。
音をならさないことに意味がある。

人生にも「何もしないとき」があってもいいのです。
「何もしないとき」にも意味があるのです。

さらに。。。
何もしないときが長くてもいい。

交響曲、協奏曲には楽章があります。
各楽章で、緩・急が異なります。
緩急があることで、曲全体の調和を生み出します。

人生にも「緩やかに進む第二楽章のような時期」があってもいいのです。
ゆっくりのんびりしている時期にも意味があるのです。

願い事をかなえる方法


例えばあなたが大阪にいて、東京に行きたいと願っているとします。
東京に行きたいと願うならいつか必ず東京に着けます。
手段はいろいろあってどれでもいい。
電車で行く人、車で行く人、歩いて行く人。
中には、富山に寄ってから東京に行く人、それも良いでしょう。
もし、大阪の繁華街をうろうろしているのなら、本当は東京に行きたくないと思っているのです。
つまり、東京に行きたいと心の奥で思えば、いつか必ず東京にたどりつける。

願い事も同じなのです。
「○○でありますように」
いつも願っていれば、いつかきっとかなう。
寄り道してもいい、立ち止まってもいい、方向さえ合っていれば。

人の運命は、自分がこうありたいと願う方向に自然と進んでいきます。

悩みからの脱出方法

悩みを誰かに相談して、気持ちが落ち着いた経験はありませんか?
それはなぜか?
悩んで落ち込んでいるときというのは、どうしたらいいかわからない状況になりますが、誰かに話すことで、悩みを整理できるからだと私は考えます。

人に話す時こそ、「悩む」から「考える」に切り替わる瞬間なのです。
悩みは堂々巡りのマイナス思考
考えることは脱出するプラス思考

自分の悩みについて、
1 何に、どう悩んでいるのか?
2 どうにもならない悩みなのか、対策があるのか?
3 自分の気持ちの持ち方次第で軽くなる悩みなのか? 
それを考えてみる。

モヤモヤと正体のわからない悩みの輪郭がくっきりと見えはじめてこれば、しめたものです。
イメージとしては、

わけがわからない悩み→不安度100
正体のわかった悩み →不安度 30

悩みはこの時点で半分以下になるはずです。
正体がわからなかったから、ものすごく不安だったのです。


誰かに話すのではなく、自分で紙やパソコン画面に書くことでもよいと思います。
上の1~3に対して答えを自分で書いてみましょう。

誰かに話したいけれど、話す相手がいないと言う人は、匿名でこのページのコメント欄にお書きください。私でよければ真剣に聞かせていただきます。

誰もが悩みを克服する力を持っています。
これを読んでいるあなたにも。
ただ、その力を引き出す方法に気づかないだけなのです。

思うようにいかないと悩む人へ(その2)

前回、思うようにいく確率のほうが低いと書きました。

実は、この確率を上げる秘密の方法があるのです。

「それって、もしかして黒魔術!?」と思われた方・・・鋭いですね!

まず、ろうそくと岩塩を用意し、床に六芒星の魔方陣を書いて・・・・・

いえいえ、黒魔術ではありません(^^;
しかし、黒魔術と同じぐらい、神秘的な方法があるのです。

その方法をお示しします。

それは、

1 欲張らないこと
2 謙虚でいること(自分を知ること。でも過小評価しすぎないでね)
3 前向きでいること

この3つを大切にすれば、自然と思うように物事が進みやすくなります。
運命の神様は、欲張りでおごれる人、後ろ向きな人には冷たく、そうでない人には優しいのです。

そして、思うようにいった時は、 ありがたいな と心の中でそっと感謝しましょう。
それが、また、さらなる幸運を呼び寄せます。

思うようにいかないと悩む人へ(その1)

物事が自分の思ったとおりに進まなくて、イライラすることはありませんか?


A 自分の思ったとおりになる。


B 自分の思ったとおりにならない。


2つに1つだから、思うようになる確率はコインの表がでる確率と同じ1/2。
いいえ、1/2の確率ではありません。
なぜならば、自分が願う形というのは、たくさん条件をつけているので実現する可能性は低くなるのです。


むしろ、サイコロを振って1の目が出る確率と考えたほうがよいでしょう。


 また、人に対して「こうあってほしい」という願いも、下に書いたとおり、「相手はあなたのために生きているのではなくて、自分のために生きている」ため、思うようにいく可能性は低くなります。

思うようにいかなくてイライラしないためには、次のように考えてみてはどうでしょうか。


1 思うようにいかないのがあたりまえ。

2 思うようにいかなかったら、「そう簡単にはうまくいかないな、思ったとおりだ」と思う。

3 思うようにいったら、サイコロで1の目が出るぐらい幸運なのですから、「ラッキー(^^)」と思う。


1つだけ注意点があります。それは、「思うようにいかなくても、決して悲観しないこと」です。
予想どおり、思うようにいかなかったとき、「さて、どうしようかな」と明るく前向きに考えましょ う。
そして、
静かに事実を見つめ、事実に寄り添い、ゆっくりとどうするか考えましょう。

(まとめ)

思うようにいかないことが、思ったとおりと考えて、マイナス思考をプラス思考に変えてしまおう。

思うようにいかないのがあたりまえだけど、そこに悲観はない。

生きている意味(その1)

「生きている実感がわかない」、「死にたい」「死んでしまいたい」と思う人も、よかったら少し私の話を聞いてください。

このページにたどり着いた「あなた」。
あなたは、本当は、生きていたいからここにたどり着いたのです。
あなたが生きるために少しでも役立てれば、そう思い書き綴っています。
ここに来てくれてありがとう。
生きることの意味は、間違いなくあります。
どうか私を信じてください。

生きる意味は?

今日は、その第1段階として、
まず、最初に
『今、この瞬間を大切に生きる』
ことについてです。


どのように考えたらいいか、私の提案です。

『一期一会』
(一生に一度しかない出会い。一生に一度という思いを込めて接すること)。

一瞬の大切さを言っていますが、実際日常で毎日会う人や日々の出来事にその気持ちをもって接することなかなかできないものです。

でも、一日を一会とすれば、例えば友達なら、たった百期百会なのです。
それほど何度も会うわけではない。
自分の子供、親、夫婦ですら万期万会でしかない。
多くても1万回ぐらいしか会えません。(365日×10年でたった3千日)

例えれば、友達なら、100円持っていて、会うたびに1円ずつ減っていくイメージ。

家族なら、1万円持っていて、毎日1円使うようなイメージ。
想像してみましょう。
もしかしたら、もっているのは、100円ではなくて30円かもしれない。
もしかしたら、もっているのは、1万円ではなく3千円かもしれない。
いくら財布に入っているかだれにもわからない。
つまり、無限ではなく、有限のものだということ。

日常の出来事だって、同じです。

このように考えてみると、今、自分の目の前にいる人、目の前の出来事は永遠ではない。いつもこれが最後かもしれないということが実感できませんか?

はかなく切ないけど、そう考えることで、逆に『生を実感することができる』と思います。
生きている意味というのは、生を実感することで自分の中から湧き出てきます。

昔の人が言うように、うつりゆくものは永遠ではありません。
生きる意味に疑問を感じたときに、このことを思い出してみると、今を大切にしようという気持ちがわきでてきませんか?


これまで過ぎ去った人たちや昔の思い出は、有限だったからこそ、過去のことなのではないですか?

人間関係で悩む人へ

例えば、テニスが上手になりたいとき、「上手になりたい」と思いますよね。
また、英会話が上手になりたいときも、「英語ペラペラの自分」を思い描き努力すると思います。
それは、よいことです。
物事をうまく進めようとするときに、「自分はこうなりたい。」という意思を持って取り組むことは正しいと思います。


しかし、人間関係においては、どうでしょうか?
人間関係では、相手があるため、「こうしたい」と思っても、思うようにいきません。
相手は、自分の望んでいる感情を抱いたり、行動をしてくれないことが多いですよね。
それはなぜでしょうか?

それは、
「相手はあなたのために生きているのではなくて、自分のために生きている」からです。
その事実を冷静に受け入れてください。

では、どうすれば目の前の人と良好な関係を築くことができるのでしょうか?

私の答えです。
「こうしたい」とか「こうなりたい」と思うことはよいのですが、それを打ち消すぐらいに次のように思うことです。
『相手の心にそっと寄り添いたい』
こう思えば、自然とうまくいくことが多くなります。

この考えを発展させましょう。

人間関係だけではありません。
「悩みごと」についても同じなのです。
ほら、悩みというのは、見方を変えれば、「自分ではどうにもならないこと」ですよね。
(自分で何とかなるなら、既に解決していますものね)

そのようなどうにもならないことも、まず『そっと寄り添う』ことから道が開けます。
今度は、人ではなく「事実」にそっと寄り添うのです。

悩んでいる人は、目の前の事実にそっと寄り添ってください。
そして、寄り添いながら、自分のすべきことを少しずつゆっくり考えていくのです。
これが最善の方法ですから、きっと現状よりよい方向に向かいます。
だから『前向きに明るく』寄り添いながら歩いていきましょう。


【まとめ】

「人間関係をよくする秘訣は、相手の心にそっと寄り添い、相手の気持ちを思いやること」
「自分ではどうにもならない悩み」も同じように時間をかけてもいいから、「その事実にそっと寄り添う」ことから始めるのが正しい。
「そっと寄り添う」とは心穏やかな気持ちで「すぅーっと溶け込み受け入れる」イメージです。


 

心のありかたが自然と幸せを招く

信号機が黄色から完全に赤になったのに交差点に突入する一台の車がありました。
あなたはそれをみてどう思うでしょうか。

「危ないなぁ」そう感じる人が多いでしょう。

赤信号でも無理して進む車はいつか事故にあう確率が高いと思います。
その人が事故を起こしたとき、それは運が悪かったから事故にあったのではなく、ココロに原因があったからです。

生きていると、いろいろな出来事が起きます。
安全運転をしていても事故にあうことがありますから、避けようのない不幸が襲ってくることもあります。
しかし、ココロが原因で起きるべくして起きた不幸もあるはずです。
目の前で起きる出来事が、自分のココロのありかたが現実となって出来事として現れたということです。


このことを、人とのかかわりに当てはめればこうなります。

「人を大切に思う気持ちがある人は、人とのかかわりでよいことが自然と起きる。」

気をつけなければならないのは、逆の発想はいけないということです。
いいことがおきて欲しいから人に親切にするというのは順序が間違っています。
打算なく、ただ大切に思えばいい。

自分の目の前で起きる出来事は、自分のココロの問題であることが意外と多いのです。
こころのありかたさえ正しければ、きっといつか幸せになれます。

何かを失えば、何かを得ることができる

まずは、私の不思議な体験をお聞きください。

ある日のこと。私が朝のラッシュアワーに地下鉄の乗り換え通路を歩いていたところ、目の前に目の不自由な人がいました。
乗り換え通路は、ちょうど合流するところにさしあたり、人が停滞し混雑しはじめたため、歩いている人たちも次第に歩く速度を落としていった。
ふと、その目の不自由な人をみると、驚いたことに、つえを前の人に当てることなく、周りの人と同じように速度を落としていました。

なぜ?本当は目が見えたのでしょうか?
そうではありません。
後で気がついたのですが、雑踏の足音を聞き分けて人々の歩く速度をつかんでいたようです。

目の不自由な人は、目を失ったかわりに目ではなく音から周りを察知する能力を得た。
人生で人は悩みにぶつかります。
その悩みとは、 ・病気であれば健康の喪失 ・人間関係の悩みであれば信頼関係やつながりの喪失 ・経済的悩みであれば経済的豊かさの喪失 ・ある出来事で背負うものができれば、悩み以前の生活の喪失というように悩みは失うものとしてとらえることができます。

しかし、目の見えない人の例のように、一方的に何かを失っただけではきっとないはずです。
悩み以前には見えなかったようなものが見えるようになる。
悩んだ人は、悩むことにより「幸福のメガネ」をかけることができるのです。
幸福のメガネを通して『本当に大切なもの』に気がつくことができる。
そして何かを得ることができるのです。
いや、もう何かをすでに感じ得つつあるかもしれません。


こんどは数字で説明してみましょう

悩み以前の状況を10とします。 
悩みで5つ減って5になったとします。
でもね、悩みから幸福のメガネにより新たに10得ることができます。
悩んだからこそ得られるボーナスポイントのようなものです。

つまり
 悩みのない人 10
 悩んで悩みから何かを得た人 15


【まとめ】
悩みにより何かを失えば、失った人にはもっと素敵な何か、『本当に大切なこと』を感じ、得ることができます。
(余談ですが、私がどれだけ一生懸命書いても、目の不自由な方がこのページを読むことはありません。目が見えないということは大変なハンデだと私は思います。それなのに、目が見えなくても健やかに生きていらっしゃる姿を街で見るたびに、私は頭が下がる思いがします。)

健やかに生きたい人へ

【信念を持とう】

私の信念は「目の前の人をただ愛すること」だってことは前述したけれど、あなたは何が信念ですか?

提案だけど、どんなものでもいい、信念を一つか二つ持つと人は健やかになれると思う。 私の場合は2つ。
1 目の前の人をただ無償で愛すること

2 いやなことから逃げないということです。

私の場合、これまで大きな悩みに出会ったときに、「自分は何があっても逃げない、負けない」それだけを念じて乗り切ってきた。
余計なことは考えず、ただその信念のみを考えて。
悩んでいるときは、そういう信念に基づくシンプルな考えに一本化すべきだ。

あれこれ余計なことは考えないほうがいいと思う。
どんなものでもいい、信念を持ち、それをもとに行動すればいい。

つまり羅針盤のようなものだ。
苦しいときは、いろんなことを考えすぎて頭の中がもやもやする。
そんなときこそ、あなたの信念の出番だろう。

そのためにも、普段からその信念を磨いておく。
そして苦しくなったときにその信念を強く意識して、自分の柱となる信念だけに寄り添い、あるときは時に任せながらも、静かに回復の時を待てばいい。

【どんな信念でもいい】

誤解してほしくないのは、どんな信念でもいいということです。
私の場合、逃げないって信念だったけれど、「逃げる」という信念だって立派な信念なのです。
人は、無意識のうちに自分の心のバランスを保とうとする。
それが逃げることであるのならば、誰もその人を責めることなどできない。
それが今の自分に必要なことであるからです。
困難に出会ったとき避難して目をそむけてもいいと思います。
つまり、どんな信念がいいかは、人によるのだから、自分にピッタリ合うものであればいいのです。
たいていの場合、自然治癒能力のある人間は回復に向かうし、前述したように悩みには賞味期限があるのだから。

どんなことでもいい。自分だけの信念を持ってみませんか?

欠点が嫌だと思う人へ

前回、こう書きました。 

「 不完全な人間そのものは、愛しく思うべき存在です。 」

さて、そこで欠点(自分が嫌な部分)のお話です。
自分に欠点があるとします。
忌み嫌わずに、その欠点を見つめてください。
欠点のある自分をただ見つめておけばよい。

それほど悲観することはありません。先に書いたように、欠点を持つ不完全な姿も愛しいのです。
つまり必要なことは、 「悲観的にならず、謙虚に欠点のある自分を見つめること」 それだけです。

それが自分を知ることにつながり、すべていい方向に向かうことにつながります。
無理に欠点を消そうとしなくてもよいのです。 不要なものなら、いつか自然となくなるでしょう。

人間の不完全さについて

【人間は不完全な存在である】

「月も雲間になきはいやにてそうろう」(雲ひとつのない空の月は嫌なものだ)

不完全なものの美を表現したものとして茶人、珠光の有名な言葉です。
珠光は欠けた茶碗に美を、愛しさを感じ、侘びの概念を作り上げました。
私は、お茶碗などのものにとどまらず、不完全な人間も同じように愛しさを感じます。
人間の内面には、一般に醜いとされている欲望や感情があります。
焦点を当ててみたいのは、「それらの欲望や感情を捨てきれない人」という存在そのものです。

理想から言えば、醜いとされる欲望や感情を一切捨て去った人になれればよいのでしょう。
理想を求めることはとてもいいことです。
しかし理想どおりになれないとき、どうか自分を責めないで欲しい。
地上の人すべてが、これら醜いとされる欲望や感情をすべて捨て去った人であったなら、いったいどんな世界になるのでしょうか?
テレビドラマ、小説の脚本は沢山書けますか?
人の心を打つ文章を、詩を沢山創れるでしょうか?
人生はいろいろな人がいて、いろいろな出来事があるから楽しい。

世の中が無味乾燥でないのは、人が悩みから脱却しがたい存在であるからに思います。
そんなこの世の中で、醜いとされる欲望や感情を100%完全に捨て切れない『人そのものの存在』に、私は愛しさを感じます。

100%排除したくても、排除しきれない、そのギャップに悩む人の姿は愛しい。
100%無垢になりたくても、なれないまま、自分を省みて努力を重ねる姿は愛しい。

私は偉そうなことを書いていますが、無垢になりきれない普通の人です。
私は、欲を100%排除しきれず、今ここに存在しています。
そんな私ですが、私以外の人も含めて、完全になりきれない自分も他人もひっくるめて愛おしいと思うのです。

これを読んでいるあなたが、自らの不完全さに悩んでいるとしても、前述した欲や感情そのものはたとえ仮に醜いものだとしても、 『あなた自身そのものは、人として決して醜いものではない』 と私は思います。

【まとめ】

理想の自分を目指すことはとてもよいことです。でも、理想の自分と今の自分に違いがあっても、自己嫌悪に陥るほど自分を責めてはいけません。なぜなら、不完全な人間そのものは、愛しく思うべき存在であるからです。

悲哀の向こう側に

真実を見つめてこそ強くなれると信じるべきだと思います。

生きていれば、目を背けたくなるような現実に遭遇することってあるよね。
無理はしなくていい。イヤだ!って思ったら一度は逃げてもいい。
だけど、時間が過ぎてみれば、また違った視点で過去として、その事実を見つめることができる。

たいていの場合、目を背けたくなるような事実は、冷酷だ。
ナイフのように心につきささる現実。

だけど、そんな悲哀を受け入れる能力って、誰でも備わっている。
もちろん、あなたにも。
事実を事実として受け入れることが出来た瞬間、人は一回り成長する。

受け入れた瞬間、まわりの人、物、世界がいとおしく見えるはずだ。
悲哀の向こう側に世界がある。
受け入れたとき世界が輝いて見えるはずだ。
世界がどう見えるかは、自分次第なのだから。

トンネルには出口があるってことを信じて欲しい。
トンネルからでるとまぶしいよね。
同様に生きることの大切さをさらに奥深く深く感じるはずだ。
悲しみにくれるとき、その向こう側には必ず光がある。

自分は弱いと思っている人へ

【誰もが弱さを持っている】

某国の大統領は、国民に自分の完全無欠さをアピールしながら、日曜日に教会でざんげしているかもしれない。

そう、この世に弱さを全く持っていない人など一人もいないと思います。

自分に弱い部分があると認めること。
それは苦痛なことです。

自分の弱い部分に目をそむけること。
それは楽なことです。

だからこそ人は弱い部分に目を背けたがる。


では、質問ですが、自分の弱い部分に目を背けた人は、他人が自分の弱さに苦悩していることに気が付くでしょうか?
きっと気が付かないでしょう。
逆に、自分の弱さに目を向けた人は、同じ目線で、目の前の人が弱さに苦悩していることに気が付くはずです。
次の質問です。
自分の弱さがわからない人に、目の前の人のことを本当に理解することができるでしょうか?
きっと理解できないでしょう。
逆に、自分は弱い、弱い部分があると思う人は、自分を知っている人です。
自分がわかる人であれば、他人を自分に置き換えれば、相手を理解することができると思います。


【大切なこと】

大切なこと。それはね、よく昔から言い伝えられている大切な言葉ですが、『自分を知ること』です。
弱いと思う人、弱い部分があると思う人は、自分を知ることに成功したのです。
自分の弱さを知ることで、人の痛み・弱さを感じ、人を理解することができるようになれます。
だから、弱い部分を持つ自分というものをじっと大切にしておけばいいのです。


【まとめ】

自分は弱いと思っている人は自分を知っている人なのです。
それは静かに誇りに思うべき立派なことであり恥じる必要はありません。
だからね、自分は弱いと思ってもいい。でもね、決して卑屈になってはいけません。
堂々と、弱いと思う自分を大切にしてください。

未来が不安な人へ

理由なき不安。
将来がぼんやりと不安だ。そう感じる人へ。
大丈夫です。 結論から書くと、
「誰もがしてきたことだから大丈夫。予期しない不幸が襲ってきても、自分にも対処できる(受け入れれられる)。」
そう思って欲しい。

人には困難を乗り越えるチカラがある、しかしそれに気が付いていないだけです。
そして、人の能力なんて、大差ありません。
できると言われてる人でさえ、平均の1.3倍とか、その程度なのです。
例を挙げればIQの平均が100程度として、IQ150以上の人はごく数百人に一人。
で、どこが違うかというと、計算や物事の処理能力が他の人の何割増しか早いだけのことなんだ。

人はしょっちゅう、何倍も他人とチカラが違うと思いがちであるであるが、それは間違いである。
所詮、1人の人は2人分にはなりえない。
能力に大差はないのです。
(だだし、作家、芸術家、科学者などの創造的な能力の場合は別ですが)

人の生きる能力にそれほど大差はない。

だから、将来どんなことが襲ってきても、多くの場合、ちゃんと対処できるよ。
そして、対処できなくても、大丈夫。
時が解決してくれる。受け入れられる。
このことは前に書いたとおり。
私だって、大きな悩みに対しては、時にゆだねた。
そして、悩みは完全に解決していないけど、健やかな今がある。
大丈夫、安心していい。
だから自分の力を信じて自分ってものをしっかりとさせることだけ考えればいい。
なるようにしかならない未来だけど、自分さえしっかりしていれば、大丈夫なのです。

人づきあいが苦手な人へ(その1)

私の一意見としてですが、聞いていただけると幸いです。

【まずは友達について】
挨拶程度の人は除いて、普通の人が一生で知り合える人の数はどんなにがんばっても500人ぐらいが限界だそうです。
そして、そのうち日常的に交流できる人の数は10分の1以下だろう。

人付き合いの苦手な人は、
『誰もが、そんなにたくさんの人と交流しているわけじゃない』
という事実をどうか知ってほしい。

思うに、本当にわかりあえる友達が一人か二人いれば、それだけで幸せなことだ。
いや、むしろたくさん友達を作るより、分かり合える一人か二人の友達を得るほうが難しいと思います。

人生は長いから、これから先、きっとそのような人に出会える可能性は十分あると思います。
たくさん作るのはたくさん時間が必要ですが、わかりあえる友達をつくるのはワンチャンスあればできるのです。
その上で次のお話です。


【人間関係について】

軽々しく、もっと社交的になれなんて言いません。
いや、その必要はないでしょう。
私自身は社交的なほうと自覚してますが、実は『「社交的なことが善」とは限らない』と思います。
別に社交的でなくてもいいと思います。

だから、まず『人とうまく付き合わなきゃ』という固定観念は捨てたほうがいいと思います。

うまく付き合おうとすると、どんな相手にも自分を合わせることになりがちです。
その結果、自分が自分でなくなっていくのです。
だから、人付き合いが苦手な人は、自分を変える必要はないと思います。
ただ、ほんのちょっと意識を変えるだけでいいと思います。
具体的にどうしたらいいのか?
「去るものは追わず、くるもの拒まず」が人間関係の基本だといいます。
自分の目の前に現れた人をただ大切に思ってあげるだけ。
それだけでいいと思います。
仮に誤解されたり嫌われても去るものは追わず。
今の自分のまま、いつづければいいと思います。


【そして友達の話に戻る】

日常の人間関係も、そのようにただ目の前の人を大切に思うことだけしていれば、いつかは分かり合える友達に自然とめぐり合えると思います。
だからあとは、人と接する機会を自分に無理のない程度に作っておくといいかと思います。 繰り返しますが、友達の数の多さは自慢にならないと思います。


【まとめ】

人と触れ合うことは、傷つくこともあります。
でも、傷つく人は、人の痛みもわかる人なのです。
そのような人、人の痛みもわかる人なら、『去らずにいる人』もいつか必ずあなたの目の前に現れると思います。
大事なのは、『自分が相手を大切に思い接すること』ただそれだけだと思います。

自分を愛せない人へ

< 自分を愛せない人へ >

下に書いてある「人を自然に愛せる方法」で、こう書きました。

「相手が自分で、自分が相手であったかもしれない」 誰もが、与えられた資質と環境の中で、もがきながら一生懸命生きてきたのです。 そうすると、どんな人だって愛おしい。」 

その考えを応用(発展)させ、自分自身に当てはめてみましょう。
特に自分を愛せない人に言いたい。

あなたは、与えられた資質のもと、避けられない運命のなかで、環境のなかで、一生懸命生きてきた。

生きることって、大変だもの。よくがんばって生きているって思う。
その点をどうか誇りに思ってください。
だから、そんなに自分を嫌いにならないで欲しい。

目の前の誰かも、そしてあなたも、このページを読んでる、この瞬間まで、ほら、生きてきたんだから。
このページを読んでくれたってこと自体、前向きに生きたいって思ってる証拠だから、必ず未来はそんなに悪くならないはずです。
生きることは大変だ。
だから生きてきたこと自体立派なんだから、自信をもって、これからも自然体でゆっくりと生きて欲しいんだ。

人を自然に愛せる方法

<自然に人を愛せる方法>

私独自の考えです。

【人の成り立ち】
もって生まれた性格と、育ってきた境遇が人を形成する。
まず、性格。。。天から授かるものだからだれのせいでもないよね。
次に、境遇。。。大きくなるまでに楽しいこと、悲しいこと、腹立たしいこと、、いろんなことが襲いかかる。運命のようなものだから避けようがないよね。
 つまり、人を形成する性格や境遇は、与えられるものだ。

目の前に、嫌いな人がいるとして、じゃぁ、その人が、そんな風になったのは、どうしてか?って考えてみよう。
その人が、もって生まれた性格と、境遇が、その人をそんな風に形成させてしまったのだろう。
だとすれば、その人のせいではないと私は思います。

【よく考えてみましょう】
具体的に説明します。目の前に嫌いな人がいるとしよう。
よく考えて欲しい。 あなたが、もし、目の前の嫌いな人の性格(資質)をもって生まれ、目の前の嫌いな人の境遇(環境)で育った場合、あなたも、そんなふうに嫌われる人になっていたかもしれないのです。

つまり 『その人が自分で、自分がその人であったかもしれない』 ということです。

逆に、目の前の嫌いな人が、あなたの資質をもって生まれ、あなたの環境で育てば、あなたになっていたかもしれない。

一言で言うと、
「相手が自分で、自分が相手であったかもしれない」
私は、そういう考えをしています。

誰もが、与えられた資質と環境の中で、もがきながら一生懸命生きてきたのです。
そうすると、どんな人だって愛おしい。

【まとめ】
だから、目の前の人の行動や言動が悪いと感じても、その行動や言動自体は悪いことだと思っても、その人本人を、憎むべきではありません。
彼(彼女)をそんなふうにさせたもって生まれた資質や、境遇が、彼(彼女)をそうさせたのですから。
つまり、そんなに簡単に相手を憎むべきではないってことです。
もちろん、肉親がひどい目にあえば、私も許せるかわかりません。
しかし、そうでもない限り、誰もが、望んで嫌われるような人になったわけではないってことを、わかってあげたい。

ルックス以上に美しい人

それは内面がきれいだから。
顔の作りはよくみれば普通なのに、とってもきれいで魅力のある人。
男でも女でもいる。

内面が素敵だと、生き生きとした表情になり輝いているからだろうな。
神様がくれたご褒美?
内面が綺麗だと、生き生きとした表情になり、その人の回りに輪ができるんだ。

ある統計によれば、人は初対面のときの印象の70%は、相手の表情によって決まるらしい。
そう、言葉遣いでもなく、姿勢でもなく、表情。

ね、心に思ってることって顔にでると思いませんか?
私はそう思う。 つまり、自分の内面が、人との関係をより良くする。
うわべでもなく、格好でもなく、心の中で目の前の相手のことをちゃんと見つめて人として愛せばいいだけのことだと思う。

見返りを求めるのではなく「ただ目の前の人を愛する」。
私はそういうシンプルな考えが好きです。

性格は変るか?

身の回りで、こういう性格が直ればのに!そう思う人いませんか?
もちろん私自身もそう思われることがあると思います。
ついつい、思ってしまうよね。

私の考えは
「人の性格は、まわりの者がどれだけ何百回言っても変わらない。
 変わるときは、自ら何かに気がついたときだ」
です。

では、何かに気がつくってことは、どういうときだろうか?
平穏無事の毎日から何かを感じることはないだろう。
だから逆境が一つの性格の転換点。たいてい、いいほうに変わると思う。

だから逆境ってチャンスだと思う。
そうポジティブに私は考えてる。

もう一つは人との出会い。
そこから何かを学ぶ。その場合無意識に学び、後で影響を受けたなと気がつくことも多い。

あなたは、どう思いますか?

不安の解消法

【はじめに】
不安のない人はいない。
こんな生物学的な話を知っていますか?
「不安がなければ、人類は今ここに存在しなかった。なぜなら不安こそ生き抜くために必要だから。無防備は、敵に滅ぼされるから。」

考えてみましょう。

【不安って?】
不安についてちょっと考えてみよう。
ね、どうして不安なのだろうか?
それは、ほとんどの場合、未来に悪いことがあると予想しているからだろう。
(ぼんやりとした理由なき不安も存在すると思いますが。後で書きます)

じゃぁ、不安にとらわれたときの私の対処方法を参考までに書いてみます。

【私の場合】
単純明快です。

「今、自分が最善をつくしているか?」
「イエス」
と、自問自答する
だけです。

未来は予想してもしきれないほど、複雑だ。
まず、誰にも予想できないことを理解し受け入れるべきと思う。
例えば、20年前、こんな世の中になってるなんて誰もピッタリと想像出来た人はいない、そう思いませんか?

つまり、私たちの未来10年後、20年後がどうなるかは、わからないということ。
誤解して欲しくないのは、未来がわからないから何にもしないってことではないってこと。
それと、未来に目標を定めたって意味がないってことじゃないってこと。

目標を定め、努力する、最善を尽くすことの大切さはこのページに興味をもってここまで読んでくれたあなたならわかっていただけるでしょう。
大事なのは、刻一刻と変わっていく状況のなかでなるようにしかならない未来を受け入れ臨機応変に最善の道を選ぶ姿勢だと思います。

【まとめ】
そう、わかりもしない未来だけど、最善を尽くすことだけ考えればいい。
自分さえしっかりしていれば大丈夫です。

プロフィール

ケイン

Author:ケイン
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