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欠点が嫌だと思う人へ

前回、こう書きました。 

「 不完全な人間そのものは、愛しく思うべき存在です。 」

さて、そこで欠点(自分が嫌な部分)のお話です。
自分に欠点があるとします。
忌み嫌わずに、その欠点を見つめてください。
欠点のある自分をただ見つめておけばよい。

それほど悲観することはありません。先に書いたように、欠点を持つ不完全な姿も愛しいのです。
つまり必要なことは、 「悲観的にならず、謙虚に欠点のある自分を見つめること」 それだけです。

それが自分を知ることにつながり、すべていい方向に向かうことにつながります。
無理に欠点を消そうとしなくてもよいのです。 不要なものなら、いつか自然となくなるでしょう。

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人間の不完全さについて

【人間は不完全な存在である】

「月も雲間になきはいやにてそうろう」(雲ひとつのない空の月は嫌なものだ)

不完全なものの美を表現したものとして茶人、珠光の有名な言葉です。
珠光は欠けた茶碗に美を、愛しさを感じ、侘びの概念を作り上げました。
私は、お茶碗などのものにとどまらず、不完全な人間も同じように愛しさを感じます。
人間の内面には、一般に醜いとされている欲望や感情があります。
焦点を当ててみたいのは、「それらの欲望や感情を捨てきれない人」という存在そのものです。

理想から言えば、醜いとされる欲望や感情を一切捨て去った人になれればよいのでしょう。
理想を求めることはとてもいいことです。
しかし理想どおりになれないとき、どうか自分を責めないで欲しい。
地上の人すべてが、これら醜いとされる欲望や感情をすべて捨て去った人であったなら、いったいどんな世界になるのでしょうか?
テレビドラマ、小説の脚本は沢山書けますか?
人の心を打つ文章を、詩を沢山創れるでしょうか?
人生はいろいろな人がいて、いろいろな出来事があるから楽しい。

世の中が無味乾燥でないのは、人が悩みから脱却しがたい存在であるからに思います。
そんなこの世の中で、醜いとされる欲望や感情を100%完全に捨て切れない『人そのものの存在』に、私は愛しさを感じます。

100%排除したくても、排除しきれない、そのギャップに悩む人の姿は愛しい。
100%無垢になりたくても、なれないまま、自分を省みて努力を重ねる姿は愛しい。

私は偉そうなことを書いていますが、無垢になりきれない普通の人です。
私は、欲を100%排除しきれず、今ここに存在しています。
そんな私ですが、私以外の人も含めて、完全になりきれない自分も他人もひっくるめて愛おしいと思うのです。

これを読んでいるあなたが、自らの不完全さに悩んでいるとしても、前述した欲や感情そのものはたとえ仮に醜いものだとしても、 『あなた自身そのものは、人として決して醜いものではない』 と私は思います。

【まとめ】

理想の自分を目指すことはとてもよいことです。でも、理想の自分と今の自分に違いがあっても、自己嫌悪に陥るほど自分を責めてはいけません。なぜなら、不完全な人間そのものは、愛しく思うべき存在であるからです。

悲哀の向こう側に

真実を見つめてこそ強くなれると信じるべきだと思います。

生きていれば、目を背けたくなるような現実に遭遇することってあるよね。
無理はしなくていい。イヤだ!って思ったら一度は逃げてもいい。
だけど、時間が過ぎてみれば、また違った視点で過去として、その事実を見つめることができる。

たいていの場合、目を背けたくなるような事実は、冷酷だ。
ナイフのように心につきささる現実。

だけど、そんな悲哀を受け入れる能力って、誰でも備わっている。
もちろん、あなたにも。
事実を事実として受け入れることが出来た瞬間、人は一回り成長する。

受け入れた瞬間、まわりの人、物、世界がいとおしく見えるはずだ。
悲哀の向こう側に世界がある。
受け入れたとき世界が輝いて見えるはずだ。
世界がどう見えるかは、自分次第なのだから。

トンネルには出口があるってことを信じて欲しい。
トンネルからでるとまぶしいよね。
同様に生きることの大切さをさらに奥深く深く感じるはずだ。
悲しみにくれるとき、その向こう側には必ず光がある。

自分は弱いと思っている人へ

【誰もが弱さを持っている】

某国の大統領は、国民に自分の完全無欠さをアピールしながら、日曜日に教会でざんげしているかもしれない。

そう、この世に弱さを全く持っていない人など一人もいないと思います。

自分に弱い部分があると認めること。
それは苦痛なことです。

自分の弱い部分に目をそむけること。
それは楽なことです。

だからこそ人は弱い部分に目を背けたがる。


では、質問ですが、自分の弱い部分に目を背けた人は、他人が自分の弱さに苦悩していることに気が付くでしょうか?
きっと気が付かないでしょう。
逆に、自分の弱さに目を向けた人は、同じ目線で、目の前の人が弱さに苦悩していることに気が付くはずです。
次の質問です。
自分の弱さがわからない人に、目の前の人のことを本当に理解することができるでしょうか?
きっと理解できないでしょう。
逆に、自分は弱い、弱い部分があると思う人は、自分を知っている人です。
自分がわかる人であれば、他人を自分に置き換えれば、相手を理解することができると思います。


【大切なこと】

大切なこと。それはね、よく昔から言い伝えられている大切な言葉ですが、『自分を知ること』です。
弱いと思う人、弱い部分があると思う人は、自分を知ることに成功したのです。
自分の弱さを知ることで、人の痛み・弱さを感じ、人を理解することができるようになれます。
だから、弱い部分を持つ自分というものをじっと大切にしておけばいいのです。


【まとめ】

自分は弱いと思っている人は自分を知っている人なのです。
それは静かに誇りに思うべき立派なことであり恥じる必要はありません。
だからね、自分は弱いと思ってもいい。でもね、決して卑屈になってはいけません。
堂々と、弱いと思う自分を大切にしてください。

未来が不安な人へ

理由なき不安。
将来がぼんやりと不安だ。そう感じる人へ。
大丈夫です。 結論から書くと、
「誰もがしてきたことだから大丈夫。予期しない不幸が襲ってきても、自分にも対処できる(受け入れれられる)。」
そう思って欲しい。

人には困難を乗り越えるチカラがある、しかしそれに気が付いていないだけです。
そして、人の能力なんて、大差ありません。
できると言われてる人でさえ、平均の1.3倍とか、その程度なのです。
例を挙げればIQの平均が100程度として、IQ150以上の人はごく数百人に一人。
で、どこが違うかというと、計算や物事の処理能力が他の人の何割増しか早いだけのことなんだ。

人はしょっちゅう、何倍も他人とチカラが違うと思いがちであるであるが、それは間違いである。
所詮、1人の人は2人分にはなりえない。
能力に大差はないのです。
(だだし、作家、芸術家、科学者などの創造的な能力の場合は別ですが)

人の生きる能力にそれほど大差はない。

だから、将来どんなことが襲ってきても、多くの場合、ちゃんと対処できるよ。
そして、対処できなくても、大丈夫。
時が解決してくれる。受け入れられる。
このことは前に書いたとおり。
私だって、大きな悩みに対しては、時にゆだねた。
そして、悩みは完全に解決していないけど、健やかな今がある。
大丈夫、安心していい。
だから自分の力を信じて自分ってものをしっかりとさせることだけ考えればいい。
なるようにしかならない未来だけど、自分さえしっかりしていれば、大丈夫なのです。

人づきあいが苦手な人へ(その1)

私の一意見としてですが、聞いていただけると幸いです。

【まずは友達について】
挨拶程度の人は除いて、普通の人が一生で知り合える人の数はどんなにがんばっても500人ぐらいが限界だそうです。
そして、そのうち日常的に交流できる人の数は10分の1以下だろう。

人付き合いの苦手な人は、
『誰もが、そんなにたくさんの人と交流しているわけじゃない』
という事実をどうか知ってほしい。

思うに、本当にわかりあえる友達が一人か二人いれば、それだけで幸せなことだ。
いや、むしろたくさん友達を作るより、分かり合える一人か二人の友達を得るほうが難しいと思います。

人生は長いから、これから先、きっとそのような人に出会える可能性は十分あると思います。
たくさん作るのはたくさん時間が必要ですが、わかりあえる友達をつくるのはワンチャンスあればできるのです。
その上で次のお話です。


【人間関係について】

軽々しく、もっと社交的になれなんて言いません。
いや、その必要はないでしょう。
私自身は社交的なほうと自覚してますが、実は『「社交的なことが善」とは限らない』と思います。
別に社交的でなくてもいいと思います。

だから、まず『人とうまく付き合わなきゃ』という固定観念は捨てたほうがいいと思います。

うまく付き合おうとすると、どんな相手にも自分を合わせることになりがちです。
その結果、自分が自分でなくなっていくのです。
だから、人付き合いが苦手な人は、自分を変える必要はないと思います。
ただ、ほんのちょっと意識を変えるだけでいいと思います。
具体的にどうしたらいいのか?
「去るものは追わず、くるもの拒まず」が人間関係の基本だといいます。
自分の目の前に現れた人をただ大切に思ってあげるだけ。
それだけでいいと思います。
仮に誤解されたり嫌われても去るものは追わず。
今の自分のまま、いつづければいいと思います。


【そして友達の話に戻る】

日常の人間関係も、そのようにただ目の前の人を大切に思うことだけしていれば、いつかは分かり合える友達に自然とめぐり合えると思います。
だからあとは、人と接する機会を自分に無理のない程度に作っておくといいかと思います。 繰り返しますが、友達の数の多さは自慢にならないと思います。


【まとめ】

人と触れ合うことは、傷つくこともあります。
でも、傷つく人は、人の痛みもわかる人なのです。
そのような人、人の痛みもわかる人なら、『去らずにいる人』もいつか必ずあなたの目の前に現れると思います。
大事なのは、『自分が相手を大切に思い接すること』ただそれだけだと思います。

自分を愛せない人へ

< 自分を愛せない人へ >

下に書いてある「人を自然に愛せる方法」で、こう書きました。

「相手が自分で、自分が相手であったかもしれない」 誰もが、与えられた資質と環境の中で、もがきながら一生懸命生きてきたのです。 そうすると、どんな人だって愛おしい。」 

その考えを応用(発展)させ、自分自身に当てはめてみましょう。
特に自分を愛せない人に言いたい。

あなたは、与えられた資質のもと、避けられない運命のなかで、環境のなかで、一生懸命生きてきた。

生きることって、大変だもの。よくがんばって生きているって思う。
その点をどうか誇りに思ってください。
だから、そんなに自分を嫌いにならないで欲しい。

目の前の誰かも、そしてあなたも、このページを読んでる、この瞬間まで、ほら、生きてきたんだから。
このページを読んでくれたってこと自体、前向きに生きたいって思ってる証拠だから、必ず未来はそんなに悪くならないはずです。
生きることは大変だ。
だから生きてきたこと自体立派なんだから、自信をもって、これからも自然体でゆっくりと生きて欲しいんだ。
プロフィール

ケイン

Author:ケイン
更新は不定期ですが、よろしければご覧ください。

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下のカテゴリーに悩み別に分類してあります。

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